自己紹介

 

はじめまして。

院長の小田達也(おだ たつや)と申します。

 

出身は福岡県の福津市で、趣味はキックボクシングとボクシングです。

40歳の頃、太りすぎて、健康診断の血液検査で尿酸値以外は全て異常値でした。人様の健康のお手伝いをする仕事をしながら、これはまずいと思いダイエットのために始めました。

動けるようになると面白くなり、試合に出るようになりました。ピーク時は90キロあった体重が71キロまで落ちました。

 

60歳まで試合に出ることを目標にしています。適正な身体のケアと正しい身体の使い方をしていれば、これだけ動けるということを体現したいと思います。

 

ダイエットに成功し、動けるようになると、今度は頭頂部の髪の毛の薄くなったところが気になるようになりました。

 

格闘技以外の趣味は、ファミリーキャンプもしていたのですが、今は息子と二人で男キャンプを楽しんでいます。

 

整体の業界には28歳の時に脱サラして入りました。会社員時代に、転勤族で、過酷な勤務で腰を痛めて、全国の病院を始め、整骨院、整体院、カイロプラクティック、鍼灸とあらゆる治療を受けてきました。

 

約10年の修行の後、痛みのある部位を診て症状を緩和させるだけでなく、全身を診て、痛みの根本原因を治すことに力を注ぐため開院を決意しました。

首なら首、腰なら腰、膝なら膝と、痛む部位だけを施術しても、根本的には解決しません。腰の痛みでも、背骨や骨盤、足が原因であれば、それらの治療も必要になります。

 

当院で手に負えない、器質的な原因や、内科的な原因が考えられれば、専門医を紹介します。

 

発毛施術も自分の経験をもとに、当院の基本理念である、安心、親切をもとに、スタッフ一丸となって取り組んで参ります。

 

 

                                             

幼少期は病弱で、入退院を繰り返していました。病気の他、交通事故に遭ったり、川で溺れたり、何度か死にかけました。

祖父母にとても可愛がってもらいました。

 

 

 

 

あまり活発なほうではありませんでした。

ままごとが好きでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

小学5年生の時、野球チームに入り、エースで4番でした。弱小チームでしたけど・・・

 

 

 

 

小学6年生の時に初代タイガーマスクを見て、プロレスファンになりました。

毎週金曜日が待ち遠しかったです。

 

 

 

ジャッキーチェンの映画にハマりました。

中学1年生の時、卓球部に入部しましたが、先輩のシゴキがきつくて1ヶ月で辞めました。同級生から背が伸びるとそそのかされ、バレー部に入りましたが、2年生で辞めて陸上部に入りました。

走り高跳びをやっていました。理由は高飛びのマットでプロレスが出来るからです。そんな感じでも、競技人口が少なかったので、県大会に行けました。

 

 

県立の宗像高校に入学。

「空手バカ一代」というマンガを見て空手をやってみたくなり、自宅近くの空手道場に入門しました。空手は怖かったので、幼稚園の頃から一緒だった友人を道連れにしました。

 

 

 

 

 

 

やせていた頃は運動神経が良かったです。

2年生の時に心臓の病気で死にそうになり、2ヶ月間入院しました。薬の副作用で肝炎にもなりました。

入院中、食べすぎて、体重が57キロから70キロまで増えました。退院して学校に行った時にクラスメイトに気づかれませんでした。

1週間で7キロダイエットしました。

 

 

 

 

大学入試に失敗し、浪人しました。

受験生の人口が増えていく時代だった為、大学のレベルがどんどん上っていきました。2浪してやっと大学に引っかかりました。

 

 

 

九州産業大学に入学に入学。アルバイトと遊びに明け暮れて、空手からは遠ざかりました。車の運転が好きで、遠出することが多かったです。写真はアルバイト先のマルキョウにて。

 

 

無事に4年で卒業できました。

 

 

 

 

 


大学卒業後、ユニクロを展開するファーストリテイリングに就職。まだ上場してない中小企業でした。久留米の忙しい店で、夜中まで倉庫整理が続いたある日、朝起きると腰が痛くて動けない状態になりました。初めての経験で、不安になり病院に行ったところ、「骨が曲がっていますね。湿布を貼って安静にしてください。」と言われ、「曲がった骨はどうするんですか」と聞くと無言になられました。その後、病院を転々としました。試しにカイロプラクティック(アメリカ式の整体)を受けてみたところ、その理論と効果に感動し、医師以外に人の身体を治療する仕事があることを知りました。そして「私と同じように、慢性的な腰痛で苦しんでいる人に手技療法を受けてもらいたい」と思うようになりました。

 

久留米~都城~愛知県豊橋市~長野県松本市~福島県いわき市~新潟市など、店長として新規出店のため転勤しました。

 

 

 

 

 

新潟のお店では特に飲み会が多かったです。

新潟の店で妻と出会いました。

 

 

 


28歳で転職 新潟市でカイロプラクティックの治療院を運営する健康器具販売会社に就職しました。そこで健康器具の営業をしながら勉強し、カイロプラクティックの専門学校に入学し、東京まで様々なセミナー等に通い、手技の取得に励みました。

 

 

 

 

 

雪国だったので、ジムニーで折り畳みベッドを持って、出張施術していました。古くて今にも壊れそうでした。

故障が多くなったので、懲りずに2台目のジムニーを買いました。

 

 

 

 

 

ユニクロを辞めてすぐに、浪費癖を直すためと、将来の開業のため、出費を減らすために、家賃2万円、風呂トイレ共同のアパートに引っ越ししました。生活が一変しました。

冬場はとても寒かったです。文句を言わなかった嫁さんに感謝!

 

 

 

昼間でも日光が入らず暗い部屋でした。

 

 

 

 

 

1999年8月、新潟市内でカイロプラクティックの治療院を開院しました。 交通事故事故の被害者、スポーツ選手や御高齢の方々と接するうち、捻挫・肉離れ・打撲・脱臼・骨折等の怪我に対する施術が出来る柔道整復師の資格の必要性を感じました。

 

 

2001年3月思い切って治療院をたたみ、実家の有る福岡に帰郷、同時に結婚。福岡柔道整復専門学校に入学し、治療院やスポーツクラブ等でアルバイトしながら3年間学校に通いました。3年間、妻が大黒柱で私が主夫でした。
 2004年3月国家試験に合格し柔道整復師資格を取得致しました。

 

 

アルバイト先

スポーツクラブ内の治療院にて

 

 

 

 

専門学校卒業後、整骨院で勤務し、博多駅前の分院長を経験しました。ここでは、同業者からの嫌がらせをよく受けました。写真左)

一見、整骨院には見えませんね(笑)

 

 

博多の整骨院は閉院しました。妻が妊娠したので、すぐに開業する度胸もなく、ある食品会社が新事業として、整骨院を展開するとのことで、そこに面接に行きました。

 

 

 

社員旅行で石垣島に行きました。

せっかくの釣り船でしたが、私は船酔いがひどく、マキエ係となりました。

整骨院の新事業は会社の事情で頓挫しました。

 

 

2006年10月で退職し、整骨院の開院準備を始めました。

開院の場所探しはものすごく力を注ぎました。自宅は古賀市なのですが、福津市、宗像市、鞍手郡、宮若市、福岡市全域まで及びました。たまたまトライアルの開店日に店の前を通り、テナントを見つけました。

 

 

整骨院のテナントを見に来た時はこんな感じでした。真ん中が私と息子です。

 

 

 

 

 

 

開院準備中に子供が1歳になりました。

 

 

 

 

機械がたくさんありました。

 

 

2007年2月糟屋郡志免町に小田たつや整骨院を開院し現在に至ります。